カトリック北仙台教会

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カトリック北仙台教会の催し物や信徒の皆様へのお知らせです。

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葦の髄から(10)

2014年4月5日

教皇は、3月5日、39回目一般謁見で次の様に話されました。
洗礼を徹底的に生きるとは、私達が自分の町や国の道を歩むときに出会う、堕落した惨めな状況に慣れてしまわないことでもあります。私達には、ある種の態度を受動的に受け入れ、自分達を取り巻く悲しむべき現実に驚かなくなる恐れがあります。私達は、予想していた毎日のニュースであるかの様に、暴力に慣れています。兄弟姉妹が路上で眠り、雨をしのぐ屋根も持たないことに慣れています。自由と尊厳を求めながら、あるべきしかたで受け入れられない避難民に慣れています。神なしで行動できるかの様に考える社会に生きることに慣れています。
               
この社会の中で、両親は、子供達に祈ることも、十字架のしるしをすることも最早教えません。皆さんにお尋ねします。皆さんの子供は十字架のしるしが出来ますか。考えてください。孫達は十字架のしるしが出来ますか。十字架のしるしのやり方を彼らに教えましたか。考えて、心の中で答えてください。子供や孫達は、主の祈りが唱えられますか。 アヴェ・マリアの祈りで聖母に祈れますか。考えて、心の中で答えてください。このように非キリスト教的な態度と怠惰に慣れることが、私達の心を麻痺させるのです。
このお話は、私の姿そのものです。極めて具体的な、優しくも厳しい指摘です。しかし、それと同時に、バチカン広報局長が語る教皇に「パパ様の姿」を見ました。
教皇は、「司牧者は、群れの前と中と後ろを歩き、群れが歩み、道を見つけることを助ける様に」としばしば話しておられます。(「バチカン放送」から)

教皇は、私達に付き添い、共に歩み続けていて下さるのです。心強く、暖かいパパ様です。

新年に「秘跡に関する新たな連続講話」を開始されました。社会は日々変化し、新たな課題が生まれます。私は、ここ数ヶ月に亘って「信仰年」を振り返ってきました。これからも方向感を見失わずに、旅する神の一人として歩み続けたいと改めて心に誓いました。(GG)

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