カトリック北仙台教会の催し物や信徒の皆様へのお知らせです。
[当日のミサ・C年]
第1朗読 使徒言行録2・1-11 一同は聖霊に満たされ、話しだした
第2朗読 一コリント12・3b-7,12-13 皆一つの体となるために、一つの霊によって洗礼を受けた
または
ローマ8・8-17 神の霊によって導かれる者は皆、神の子である
福音朗読 福音朗読 ヨハネ20・19-23 父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。聖霊を受けなさい
または
ヨハネ14・15-16,23b-26 聖霊が、あなたがたにすべてのことを教えてくださる
4世紀から5世紀にかけて、教会内には、御子は御父によって造られた存在であり、御父と同一本質ではないということを主張したアレイオス(256年ごろ~336年)の異端に代表される、キリスト論や三位一体論に関する論争が起こりました。このような論争の影響を受けて、スペインやガリアの教会では、三位一体への信仰を表明する信心や説教が盛んになり、7~8世紀には三位一体のためのミサの祈願も作られました。現在のカトリック教会で三位一体の主日のミサで用いる叙唱は、8世紀半ばの秘跡書(サクラメンタリウム)に由来しています。さらに、9世紀ごろには三位一体のための信心ミサも作られ、11世紀ごろのフランクやガリアのベネディクト会修道院では、聖霊降臨の主日の次の主日に三位一体を祝っていたようです。
教会としては、毎日のミサで三位一体を記念し三位の神を賛美しているということから特別な祝日を設けることには慎重でしたが、教皇ヨハネ22世(在位1316年~1334年)が1334年に全教会で祝うことを決定し、教皇ピオ5世(在位1566年~1572年)による『ローマ・ミサ典礼書』(1570年)にも導入されて定着し、現在に至っています。
[C年]
第1朗読 箴言8・22-31 大地に先立って、知恵は生み出されていた
第2朗読 ローマ5・1-5 聖霊によって注がれた愛のうちに、キリストを通して神へ
福音朗読 ヨハネ16・12-15 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。聖霊はわたしのものを受けて、あなたがたに告げる
12~13世紀ごろ、ミサで聖別されたホスティアにまことのキリストが現存していることが強調され、聖体への信心や崇敬が熱心に行われるようになりました。13世紀初めには、ミサの中で聖別されたホスティアを司祭が高々と掲げ、信者はそれを仰ぎ見るという習慣が生まれました。また、1209年に聖体に関する幻を見たリエージュの修道女ユリアナ(1193年~1258年)が熱心に働きかけたことを契機に聖体の祝日を典礼暦に導入する機運が高まり、リエージュ教区では1246年に聖体の祝日を祝うようになりました。これを受けて、かつてリエージュの首席助祭であった教皇ウルバノ4世(在位1261年~1264年)は、1264年に大勅書を発表して聖体の祝日を正式に定めました。
この祭日の名称は、伝統的に「キリストの至聖なるからだの祝日(Festum Ss. Corporis Christi)」で、ラテン語で「コルプス・クリスティ(Corpus Christi)」とも呼ばれます。現在の一般ローマ暦では「キリストの至聖なるからだと血の祭日(Ss.mi Corporis et Sanguinis Christi Sollemnitas)」と呼ばれ、キリストの御血についての内容も含めた名称です。かつての典礼暦には「キリストの御血の祝日」もありました。これは、教皇ピオ9世(在位1846年~1878年)が1849年に定めた祝日で、7月1日に祝われていました。1969年の典礼暦の改定では、キリストの御からだと御血を合わせて祝うこととし、上記のような名称になっています。日本では、「聖体」ということばがキリストの御からだと御血の両方を表しているので、「キリストの聖体」という名称を採用しています。
現在の一般ローマ暦では、キリストの聖体の祭日は三位一体の主日後の木曜日と定められています。ただし、日本のようにこの日が守るべき祝日ではない場合、三位一体の主日直後の主日に移動して祝います(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」7ハ参照)。
【第1朗読】 創世記14・18-20 〔メルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来た〕
【第2朗読】 一コリント11・23-26 〔あなたがたは食べ、飲むごとに、主の死を告げ知らせる〕
【福音朗読】 ルカ9・11b-17 〔すべての人が食べて満腹した〕