カトリック北仙台教会の催し物や信徒の皆様へのお知らせです。
キリスト教一致祈祷週間開始(25日まで)
❤ 教会カレンダー[聖パウロ女子修道会]
❤ 2021.01.17. 09:00 配信
キリスト教一致祈祷週間(1/18~25)と重なる1月24日は、教皇フランシスコによって「神のことばの主日」に定められています。この日の朗読箇所は、第一朗読が『ヨナの預言』(ヨナ書3:1~5,10)、第二朗読が『使徒パウロのコリントの教会への手紙』(コリントの信徒への手紙一7:29~31)、福音朗読が『マルコによる福音』(マルコによる福音書1:14~20)です。『マルコによる福音』の中で、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」とイエスは力強く神の国の福音を宣べ伝え始めます。そして、ガリラヤ湖のほとりで漁をしていたシモン(後のペトロ」とアンデレ兄弟に「わたしについて来なさい」と声をかけます。聖書を通して神のことばは、今わたしたちに向けられています。「わたしについてきなさい」というイエスに、あなたなら何と答えますか。新型コロナウイルス感染症の流行を抑えるため、わたしたちは聖堂に集まって、ともに祭壇を囲み、主の食卓につくことができません。古代ローマ帝国や禁教下の日本における殉教の苦しみに次ぐ苦痛を今わたしたちは味わっています。
でも、わたしたちは、どこにいても、どんな状況にあっても、祈ることが出来ます。ともに同じ苦しみを神に捧げることが出来ます。信徒であるわたしたちに今何が出来るのか。わたしたちの主イエスが十字架の苦しみを父なる神に捧げ尽くしたように、わたしたちもまた、この苦しみを父なる神に捧げましょう。全世界のドミニコ会の司祭たちは、どんな状況にあっても日々ミサを捧げています。わたしたちがともに主の祭壇を囲む日が来るまで、信徒であるわたしたちは、修道者と心を合わせて司祭のために祈りましょう。「わたしについてきなさい」、コロナ禍のわたしたちに、主イエスは語っておられます。
年間第4主日の朗読箇所は、第一朗読が『申命記』(申命記18:15~20)、第二朗読が『使徒パウロのコリントの教会への手紙』(コリントの信徒への手紙一7:32~35)
福音朗読が『マルコによる福音』(マルコによる福音書1:21~28)です。この日の福音は、汚れた霊(悪霊)を追い出すイエスの姿をわたしたちに伝えています。来週(年間第5主日)の福音で朗読される、病人をいやすイエスの姿とともに、これらの出来事はある大切なメッセージをわたしたちに伝えています。そのメッセージとは、先週(年間第3主日)の福音で朗読された「神の国の到来」です。イエスが声高らかに宣言された「神の国の到来」、それは「神の支配の始まり」を意味します。この世の富や権力、それらによってわたしたちを支配しようとする王ではない、まことの王、それは誰なのか。しっかりと見極める必要があります。このことを確認するために、わたしたちは毎週日曜日、ともに集まり、主の祭壇を囲みます。イエスの死と復活を通してわたしたちに示された神秘、大切なメッセージを忘れないために、ともに集まる事が出来ない今こそ、わたしたちは祈りによって結ばれ、心ひとつに神のことばに耳を傾けましょう。こうして結ばれたわたしたちこそ、キリストの神秘体である教会の姿を世に証することができます。
年間第5主日の朗読箇所は、第一朗読が『ヨブ記』(ヨブ記7:1~4,6,7)、第二朗読が『使徒パウロのコリントの教会への手紙』(コリントの信徒への手紙一:16~19,22,23)、福音朗読が『マルコによる福音』(マルコによる福音書1:29~29)です。第二朗読では、福音を告げ知らせるために「すべての人の奴隷に‥すべての人に対してすべてのものになった」パウロの言葉が朗読されます。かつて聖ドミニコが、異端カタリ派と向き合うために彼らのもとへ出向いたように。マザー・テレサ(コルカタの聖テレサ)が修道会を出て、イエスの兄弟姉妹である小さな人々への奉仕に生きたように。わたしたち信徒だからできること、現実のただ中で生きるわたしたちにしかできないこと。どんな苦しみの時にも、困難にあっても、目には見えないが「ともにおられる神」「今も生きておられる神」を信じ、日々の務めを忠実に果たして捧げること。それが暗闇に真理の光を輝かせることにほかなりません。このささやかな奉献が聖なるものとなるよう、日々祈り続けましょう。祈りには物事を変える力があります。わたしたちを変える力、それは祈るわたしたちに神が注いでくださる恵みなのです。
灰の水曜日(2/17)も公開ミサはありませんが、各自で朗読箇所を味わい、四旬節を迎えるに相応しく過ごしましょう。聖なる断食(大斎・小斎)によって、回心の恵みが強く注がれますように。第一朗読『ヨエル書』(2:12-18)、第二朗読『コリントの信徒への手紙二』(5:20-6:2)、福音朗読『マタイによる福音書』(6:1-6,16-18)となります。「隠れたことを見ておられる父」の計らいを信じ、その摂理のうちに、すべてを神に委ねましょう。わたしたちの主イエスのように。
今年も四旬節を迎えました。四旬節第1主日のミサでは、『マルコによる福音書』(1:12-15)が朗読されます。40日間、荒れ野で誘惑を受けられたイエス。わたしたちもまた、日々誘惑にさらされています。限られた時間の中で、わたしたちの限りある命を、命を授けてくださった神に捧げ尽くすことができるのか。起きているときも、眠っているときも、すべてを父なる神に捧げているか。祈りと断食によって静かに神と向き合い、深く反省したいものです。すべてを祈りとして捧げ尽くしたとき、わたしたちの生涯は完成されます。イエスが十字架の苦しみを捧げ尽くして、その使命を全うされたように。十字架の先には、栄光に満ちた復活が輝いています。希望を持って信仰の歩みを続けましょう。ミサの第一朗読は『創世記』(9:8-15)、第二朗読は『ペトロの手紙一』(3:18-22)です。