キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世(在位306年~337年)は、ラテラン宮殿とその周囲の土地を教会に寄進しました。そして、324年11月9日、教皇シルヴェストロ1世(在位314年~335年)はその地に建てられたバジリカを聖別しました。初めは「救い主」にささげられましたが、904年に教皇セルジオ3世(在位904年~911年)は、あらためてこのバジリカを洗礼者ヨハネと福音記者ヨハネにささげ、12世紀以降、「ラテランの聖ヨハネ」(サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ聖堂)の名で呼ばれるようになりました。このバジリカは、ローマ司教区の司教座聖堂であり最高位のバジリカであることから、「ローマと世界のすべての教会堂の母であり頭」(同聖堂の銘文)とされています。この聖堂は、各教会堂を中心とする小教区共同体や教区、さらには全世界の教会共同体との一致のきずなを思い起こすしるしとなっています。
第1朗読 エゼキエル47・1-2, 8-9, 12 わたしは神殿から流れる水を見た。この水が流れて行くところの人はみな救われた(アンティフォナ“Vidi aquam”)
第2朗読 一コリント3・9c-11, 16-17 あなたがたは神の神殿である
福音朗読 ヨハネ2・13-22 イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことであった







