カトリック北仙台教会

お知らせ

カトリック北仙台教会の催し物や信徒の皆様へのお知らせです。

インフォメーション

もうすぐ3回目の3.11

2013年3月6日

東日本大震災から2年、3回目の3.11は間近だ。
あの日から2年、「もう2年」か「まだ2年」かはそれぞれ人によって違うだろうが、明日への希望に託しつつも多くの労苦を強いられている人々や、まだまだ立ち上がれない人々の存在を忘れてはならない。
私たちは、そんな人々とともにあることを再び心に留め、次の1年を歩んでいこうと思う。
北仙台教会ではそんな思いを込めて、来る3月10日、11日以下の行事を行う。

3月10日  午前10時20分から信徒館で
         チャリティカフェの報告
         避難所→仮設住宅への出前カフェの報告
         南相馬市小百合幼稚園の先生から、この2年間のお話
        昼食  カレーライス
         震災後、3月末まで教会で行った炊き出しを偲んで無料で提供される

3月11日  聖堂で祈りの儀式
         午後2時開場  キャンドルサービス
         午後2時半開会
          式は、聖歌、聖書朗読、祈り等
          午後2時46分に鐘を鳴らし、その間黙とうし、最後に聖歌を唄って閉

        聖堂は、祈りたい人のために午後3時半まで開放される
        チャリティカフェは通常通り午後1時に開店、閉店は30分延長の午後3時

        ただし、当日コーヒー等メニューはフリー

いずれの行事も、教会の信徒だけではなく、一般の方々にも参加を呼び掛けている。
       
        

惻隠の情

2013年3月1日

 「惻隠の情」。この言葉に ある種の感動を 覚えたことを思い出しました。
 平賀司教様は、叙階式後、感謝のお気持ちを陳べられましたが、その締め括りに 出てくるお言葉です。
 

 
 「私には 足らないところが 沢山あります。皆さんは それを承知しておられます。どうぞ、惻隠の情をもって 助けて下さりながら 一つになって 仙台教区の新しい一歩を つくりあげて行きましょう。本日は 本当にありがとうございました。」

 久しく出会わなかった言葉でした。謙遜・誠実・奥ゆかしさ・信頼をひしひしと感じ、ご一緒させて頂こうと 強く肝に銘じました。

 教皇ベネディクト16世は、昨年11月、「現代、どのように神について語るべきか」について演説されましたが、その中に出てくる「へりくだり」と言う言葉と重なり、この日記を書きました。(GG)

(註1)平賀司教様については、仙台教区報168号(2006.3.26)をご参照下さい。
    教区HPトップページから「教区報」を選択、更に168号を選択してご覧頂けます。
(註2)教皇の演説は、教皇ベネディクト16世の 2012年11月28日・337回目の一般謁見演説です。
    カトリック中央協議会トップから「更新経歴」を選択、更に「2012年11月29日」を選択して下さい。

仙台キリシタン殉教祭

2013年2月25日

今から389年前の1624年2月、ポルトガル人の宣教師カルヴァリヨ神父と8人の信徒が、仙台市内の広瀬川河畔で殉教した。

当時、徳川幕府のキリシタン禁教令により全国でキリシタンに対する迫害が行われていたが、その迫害にもめげず宣教師は潜行して布教活動を行い、信徒は密かに信仰を守り続けていた。17世紀初めには全国で50万を超えるキリスト教徒が存在したことがわかっているが、1638年の天草の乱をピークに17世紀半ばには、ほとんど根絶やしにされている。ただし、長崎・五島周辺では幕末のキリスト教再宣教まで信仰をまもり続けたかくれキリシタンの存在がよく知られている。

仙台藩によって捕えられたカルヴァリヨ神父と信徒8人は、広瀬川にかかる大橋下の水牢といわれる池の冷水に沈められて、棄教を迫られた。しかし、9人は、毅然として信仰を守り通し落命した。
この殉教は捕縛を免れた信徒の証言として記録に残り、今私たちに伝えられている。
大橋に臨む広瀬川河畔の西公園にはカルヴァリヨ神父と2人の信徒の銅像が建てられているが、仙台周辺8教会の信徒は例年2月の第4日曜日に、その銅像の下で彼らの信仰を称えその死を悼む殉教祭を行っている。
昨日、雪の降りしきる中その殉教祭が行われたが、想像を絶する拷問の辛さは形を変えて私たちを試しているのではないだろうか。(GON)

「とき」

2013年2月2日

「誕生日、おめでとう(*^_^*)
健康で何よりです。あなた方の世代は、100歳が普通となるから、丁度半分の折り返し点ですね。
ご健勝を心から お祈りします。m(_ _)m」

 これは、娘の50歳の誕生日に送ったメールです。
 後日、会ったとき 「これから50年も生きるの?  10年先さえも想像できない!」と言っていました。私も、来年の自分 を想像できないのですから当然だと思います。

 「再生医療は、30年後の実用化を目指している」とされています。でも、30年後に突然現れるのではなく、それまでの間に 相当なものが 医療現場で活かされている のでないでしょうか。
 そう考えると、今、50歳の人は、30年経っても80歳です。スパコン京などの「創薬」や内視鏡手術の恩恵等もあって 「100歳まで」 は夢でありません。

 1月25日のテレビでは、「ips細胞を用いないで 重篤患者の患部再生を行う治療研究が進んでいる」事を紹介していました。山中さんのノーベル賞受賞に湧いたのに、もう 別なもの が話題となっているのです。

 北上山地へ国際超大型加速機(ILC)設置の話が進んでいます。こちらは、137億年前のビッグバン を解明しようとしています。
 5年前の小林・益川さん、11年前の小柴さんの ノーベル賞受賞には大喜びしていましたが、それらも ビッグバンに関係していると知っては 別な感懐も湧いてきます。

我が家にラジオが入ったのは、小学生のときです。NHKが「TV放映60年」です。今、60歳以下の人は、生まれたとき、既にTVが在りました。

 「とき」、過ぎ去った「とき」は 短く感じ、これからの「とき」は 定かには見えない。自分の過去は、遠くもあり、近くでもあり、ハッキリしているものも、抜け落ちているものもありそうだ。忘れたいものもある。

 「時代の変遷」という「とき」は 益々速く、方向の見定めが難しくなってきた。心して生きたいと思います。

(註)写真は、1月25日、雪の芸術?「顔」。前回の「雪達磨」胴体部分に現れた顔。10日間の出来事でした。

切り抜き(2)

2013年1月19日

12月初旬、「新聞の切り抜きを止める」と決めてから1ヶ月が経ちました。途中、「切り抜きたいと思う記事」が幾つかありましたが、メモで我慢しました。
 また、「古い切り抜きの殆どを捨てる」決心もしました。残念ながら こちらは全然進んでいません。次は その言い訳です。

 去年の春、或る文書に出会いました。難解でした。12月半ば、それを理解するのに 助けとなりそうな文書 を見付けました。処が、この文書が また厄介でした。
 部分・部分は納得できるのですが、全体を 自分の言葉で話せない のです。それが、年末から年始にかけて「それ等を更に助けて呉れそうな文書」を五つも見付けました。漸く 1年前の文書が 自分のものになる様な気がします。

 悪戦苦闘が 約1ヶ月続きました。これが言い訳です。一方、新しい発見もありました。途中、何冊かの本を引っ張り出しましたが、新聞の切り抜きにも助けられました。切り抜きは、記憶を蘇らせ、問題を時系列的に整理して呉れました。

 古い切り抜きは、矢張り整理します。それでも尚残ったものを 新しい意味で補強する記事は、切り抜く事にします。新しいファイルは余程の事がない限り作らない事にします。これを、新しい基準にしたいと考えています。(GG)
 
 (追記)写真は、15日午後1時に撮影。頭と体は別々の木です。昨日からの雪が、もたらした芸術?。或いは ご褒美かも?感謝です! 

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