カトリック北仙台教会

お知らせ

カトリック北仙台教会の催し物や信徒の皆様へのお知らせです。

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情弱?

2012年4月13日

「情弱」。「情報弱者」を この様に呼ぶこともあるらしい。確かにスマホは持ってないし、パソコンだって十分使いこなしていない。情報源は主として新聞とテレビ。それだけでも溺れかけています。

昭和50年に「新聞のすべて」と言う本に出会った。参考になった。40年近くになるが、マスメデアの持っている本質は、案外変わっていない。近年、商業性・差別化が強くなり、気を付けたいところが目立つ様にもなっている。少し時間が経ちましたが、1月の新聞・テレビからの感想です。

(その1)1月27日毎日新聞・芥川賞に選ばれた田中慎弥さんの投稿、「言いたいこと あの夜と今」は、典型的な例です。「1月17日、芥川賞に決まった夜、東京でバカな記者会見をした。…(石原都知事の発言との関係)それがメデアの作ったストーリーによって思わぬ大きさに膨らんでしまった。…」とあった。
嘗て知っていることが記事になった時、「新聞では、この様になるんだ」と同じ思いを抱いたことがある。報道は、記者の目、編集者の目というフィルターを通っている。時にはデジカメ写真と同じく、加工されてもいると気を付けています。

(その2)1月18日毎日新聞・ジュネーブ駐在記者の「民主主義を疑え」には同感の部分があり、この世が、大きな曲がり角に立っていることを感じた。同新聞・日曜毎の「時代の風」は必ず読んでいる。日々の筆者から新しい視点に気付かされたり、考えを整理させて貰ったりで助けられています。
新聞は地方紙も入れて2種。どちらも「社説」を丁寧に読むことは少なくなっています。

(その3)現在進行形の情報。…NHKスペシャル「人類進化・はるかな旅」第1~4回。何をもたらすか楽しみ!

テレビは映像が強み、世論形成に力。TVやCM文化ってある?メデア自身も問題を抱え、模索が続いている。どちらかと言えば、活字メデアが好き。何度でも読み返すことが出来るから。
私は、情報を、自分の生活の中で考え、疑問・灰色のものは暫く温めます。中庸を探しています。 (GG)

(註)。「新聞のすべて」:著者 福田恒存(大正元年~平成6年)は、昭和年代、評論・劇作・翻訳の第一人者として活躍。昭和50年9月4日初版。同じ月の29日に第5版を出す程に反響の大きかったもの。(高木書房発行)。著者は歴史的仮名遣論者で、保守派などと批判されたりもした。

手作りサークル

2012年4月11日

北仙台教会で行われています「手作りサークル」を御紹介します。信者、未信者を問わず、他の教会の方も参加していただいている今はやりの「女子会」?
毛糸では帽子、マフラ―、手袋やセーター・・・布では牛乳の空き箱を再利用して「スツール」。こぎん刺しや人形、ブローチ。そしてこの東日本大震災を受けて「がんばるゾウ」を教えてくださる方がおられましたので、この「がんばるゾウ手拭き」を作りました。この「がんばるゾウ」は阪神淡路大震災で被災された方が考案されたと聞きました。東日本大震災でも役に立つのではと皆で作りました。
但し、私は一枚も作れませんでした。
今では渋谷教会からも毛糸や編物のサンプル、また福岡の箱崎教会からエコバックやエプロン等々のサンプル等をお送りいただき皆で感謝しながら月2回の集まりを楽しんでおります。おむすび一個お持ちになり御参加をお待ちしています。(S.S)

復活の詩

2012年4月8日

命の泉
復活の朝の水
悪と死を
洗い流す水

平和の川
復活の朝の水
不安や恐れを
追い払う水

癒しの流れ
復活の朝の水
疲れと痛みを
和らげる水

喜びの滝
復活の朝の水
悲しみや心配を
押さえる水

皆さん、
復活から溢れ出た
救いの水を称えましょう
ご復活、おめでとうございます。

ラトゥール神父
                     

復活の力を以て、復興へ!

2012年4月8日

 復活を祝う私たちはこの喜びを味わいながら、復興を目指している被災者の方々への思いも一緒に抱いています。
 信じる人にとっては、復活は救いの現われです。去年、仙台教区と共に、壊滅的な破壊の中で、主イエスの復活により生まれた新しい創造を宣言しました。
 積極的に、私たちはこの創造の完成に向けて歩みます。今、皆、東日本大震災を乗り越えようとしている人々に合わせて、力強く、そして1日も早くと、復興の荷を整えています。
 それは、東北に住む者としてだけではなく、主イエスの死と復活から与えられた信仰と希望を持っている者としての務めです。
 神様は、災いをもたらす神ではなく、私達と共に働いて、皆の救いを求めている神です。
 私たちに困難を乗り越える力を与えてくださいます。困っている人への正しい言葉や態度を教えてくださる神です。皆の心に愛の力を注いでくださる方です。この神の姿は、主イエスの死と復活の出来事によって明らかにされました。
 信じる者である私たちは、一般の人のように非常に無力に感じますが、この時こそ、神の救いの力に委ねます。
 大震災のすぐ後にも、皆共に、支え合い、助け合い、励ましあって、お互いに力を合わせたら、この危機から救われるという確信を現してきました。しかし、1年経って、この素晴らしい精神はどうなったでしょうか。今でも、この気持ちを持ち続けているでしょうか。この絆は、残念ながら、弱まってきたと思われています。例えば、ガレキの処理について協力する態勢が欠けていること、福島県の産物に対して過剰な反応が見られること、福島県から出た人々を自分の地域の中に受け入れることを良しとしないこと等々・・・・・。
 または、同じ地域に住んでいる人々の間にも、被災者と被害を受けなかった人々の間で摩擦が見られます。
 そういうような社会に置かれている私たちにとって、この絆は一時的な気持ちではなく、主の復活の出来事に根付いていますので、何者にも断ち切られることはないでしょう。
 皆重要であり大切であると信じている私たちは、いつも、震災の時から現れた価値観を想い起こさせる務めを持っていると想います。信仰の共同体や周りの人々との関係の中から生かすはずです。これによって復活の光を輝かす者になります。

 新しい絆、新しい創造、神と共に・・・・
 これからも復活の力を以って、復興へ !
                           ラトゥール神父

思考停止

2012年4月7日

「…の筈です」は、厳しく、逃げ場がない。「二者択一」は、その他が無く、息苦しい。「あれもあり、これもあり」では、何もない。
虹は七色、 もっと多いから綺麗。選ぶ余地がある。豊か。何か選びたい。これが私の気分。

現在も耳にする「経済封鎖」は、戦前の苦い思い出と重なる。どちらにも、それぞれの正義・大義がある。引くに引けない。「是非もな
いこと」ながら「正邪をつける」ことにならなければ良いが。考えさせられる。

少し前のことだが、1月11日の新聞で、潮田 道夫氏の文から、面白く、有益な記事を見つけた。(以下は、孫引きの様)

 本当は「低速思考」でじっくり考えればいいのだが、脳も効率化を優先する。「直感」や「経験知」で近道ができるから「高速思考」
に委ねてしまう。
 これは素早く考えるというものでなく、思考回避であって、人間の本質的な要素であり、長い進化を遂げてきた脳が持つ、避けがたい
副作用」だそうだ。

 「高速思考・低速思考・直感・経験知・知的思考・脳の持つ副作用・思考回避」は心に留め置きたい言葉だと思った。
 「思い込み」も思考回避に入るのだろうが、「想定外」はどうだろう。巨大地震を予測できなかった地震学は、研究が始まって未だ
50年だという。「そこまで知らなかった」事と「その先を考えなかった」事とは違うのだろう。この度の経験から、地震学会も地質や
考古分野と協働する事によって目が開かれたとも。
 時流に敢えて疑問を!。躊躇いは常にある。でも、進む為に、心だけは、若く、柔らかにしていたい。(GG)

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